3月11日(金)午後2時46分ころ、いつものように家にいていろいろしていたら、
大地震!
自宅は二階建ての古い鉄筋コンクリートの二階部分。
一階が崩れたらどうしよう・・・、まあ、崩れてもここは二階だから、つぶれされることはないだろう・・・一階は大家さんの別荘で今は留守だから大丈夫だし・・・などと考えながら5分くらい、静観していたら、ようやく収まりました。
地震発生後すぐ停電しましたが、ほんの2、3分で復旧。地震後、防災スピーカからサイレンがなり、津波が来るので、海岸から非難するように、との放送が何度も何度も流れました。最初は津波注意報でしたが、その後大津波警報に変わり、海岸沿いの人には避難指示が出ました。
自宅は海まで歩いて1分ですが、少し小高い所にあり、海抜10メートルくらいなので、大丈夫だろうと、特に逃げませんでした。下の海岸沿いの道路を消防車がはしりながら、「そこにいる人!避難指示が出されてます、すぐに避難しなさい!」とだれかに注意していました。
あちこち電話をかけても、回線がつながっている音はするのですが、回線規制があるので、なかなかつながらない状態が一日続きました。携帯電話も同様。でも、固定電話よりはつながりやすいでした。
一番確実な連絡方法がメールでした。このような時のために、知り合いのメルアドをすべて入手しておく必要があるとつくづく感じました。また、インターネットも問題なくつながり続けていました。
ここ、千葉の先っぽのほうにも、布良(めら)漁港というところに、1.6メートルの津波が来たといいますが、特に人的被害は近所ではなかったようです。
海岸沿いにあるステーキ屋さんも本部からの指示で17時に閉店にしたそうですが、大津波警報・避難指示が出されているにも関わらず入ってくるお客さんがいたとのこと。
一夜明けた12日の14時ころようやく、大津波警報が津波注意報に変わり、避難指示も解かれました。町に車で出ると、海岸沿いの店はほとんど休んでいました。この地域最大のロックシティーも全店休業になっていました。コンビニとココスだけはたくましく営業していました。
ステーキ屋さんは、避難指示が解かれてから営業しようと準備はできていたのですが、肝心のお米が3キロ分しかなく、いつまでたっても業者から届かず、結局18時に断念して結局一日休業状態でした。貨物列車が止まってお米の運搬が遅れたのでは・・・という人も。業者からは、佐川急便に頼んだので明日届く予定だが、もしかしたら明後日になるかも知れない・・・という連絡が入ったとのことです。
両親のいる山梨の北杜市のほうでは朝方5時くらいにようやく電気が復旧したそうで、外気温は氷点下だったのでとても寒い一夜を過ごしたと親からメールがありました。(家の中は10度くらいはあったそうです…)
皆さんのところはいかがだったでしょうか?